昨年夏、惜しまれつつ販売を終了していた「のっぽパン」が、多くの方々の復活を望む声にメーカーが答える形で、本日復活を遂げました!

のっぽパンについては、ウィキペディア(Wikipedia)参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%83%91%E3%83%B3

今回の復活は、JR静岡駅ビル「パルシェ」B1階の食彩館のリニューアルに伴い、「のっぱパン」専門店として、オープンしました。初日の今日は、懐かしいのっぽパンを目当てに多くのファンが集まり、売り切れ御免の大盛況だったようですね。
今回の復活は、この専門店のみの販売ということで、かつてのように気軽におやつにのっぽパンを買う、というところまではまだいっていません。
ただこの専門店では、その場でパンにのっぽパンクリームを入れて販売するというフレッシュさと、今までなかったサンドウィッチの惣菜のっぽパンなども生まれています。

のっぽパンは、沼津市を拠点に静岡県東部や中部で販売されていましたので、ニーズの多い東部にも「のっぱパン」専門店が出来ないかなあ。
ただ今回のJR静岡駅ビルでの専門店出店が、静岡市以西にのっぽパンの良さが伝わるようきっかけになれば、と思います。

また気軽におやつにのっぽパンを買うことのできる日が来ることを願いたいですね。
http://www.geocities.jp/noppo_world/info20080329.html のっぽパン大好き!参照

哲学って、いったい何ですか?
意味もよくわからないし、何をすることなのかも全くよくわかりません。

そんなこんなで、具体的に何をする学問なのかわからないので、大学の一般教養で「哲学」を一年受講しました。
授業は、日本の最高大学から先生が出向してきて、毎週缶ビールを飲みながら、酔っ払いながらショーペンハウアーはどうのこうのと、好きなことを時間しゃべって帰っていくだけでした。
俺は好きなことを話すだけだから、授業は出たい奴だけ出ればいい、単位はやる、というような授業でしたので、大教室でしたが、受講する学生は段々と減って行きました。

こういう授業はもう今の大学では無いんでしょうね。
僕らの時代はまだ古き良き大学の伝統が残っていた時代でした。
帝国大学で教鞭をとっていた化石のような先生の講義が聞けました。
授業の開始時間から30分以上たっても先生が来ないとき、自動的に休講となりましたよね。
サークルの合宿で遠征する時、駅まで引退、卒業したOBまで手土産持参で見送り、万歳三唱もありました。
学生が、今よりも大学に対して自立をしていたような気がします。
今は学生の親が、大学に「〇〇先生は休講で、子供が授業を受けられない」なんて苦情をするらしいから、興醒めです。
大学は大学で、学生課の職員に学生として意見や要求をしても、「学生の分際で何を言う」なんて空気があるようです。
学生の立場もすっかり変わってしまいましたね。
学生は大学に対して独立した存在だったはずですが、もはや学生は「生徒」とイコールな存在になってはいませんか。

さて、話がすっかりそれましたが、哲学の授業です。
偉い先生の話の意味は全く理解不能でしたが、教壇でビールを飲みながらおっさんが一方的にしゃべっている、という不思議な構図が好きで、結構出ていました。

でも、やっぱり、哲学って何だったのか未だにわかりません。
印象としては、過去の世界の、それも紀元前まで遡るような偉人たちがああ言っていた、こう言っているとか、そんなことを比較検討する学問という気がしてます。

なんかやってることも抽象的で、よくわからない。
突き詰めていっても、それってひとつの学問になるんだろうか?
なんだかよくわからないことをしているのが哲学だから、まあいいや。
自分はそんなことをする意味をあまり感じないから、やらない。

若かりし日に思っていた哲学に対する素朴な疑問と偏見です。

そのままにしておくのはちょっと悔しいのと、哲学を学んでいる人に誤解があっても失礼なので、哲学という言葉の意味を今日また調べてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6
「哲学(てつがく、希:φιλοσοφια=愛知)は、前提や問題点の明確化、概念の厳密化、命題間の関係の整理などの理性的な思考を通じて、様々な主題について論じる、学問の一種。また、そのような思考を通じて形成される立場も哲学と呼ばれる(ソクラテスの哲学、など)。」 ウィキペディア(Wikipedia)参照。

やっぱりよくわかりません。

チベット情勢が大変なようですね。

中国による支配に抗議するデモは繰り返してあったことはあったんですが、今回ほど国際的に注目されているという機会はないんじゃないでしょうか。

個人的にですが、僕もチベットに行った一人です。
たかだが一週間、それもラサだけという体たらくでしたが、それでもラサの標高は3650メートルあります。高山病になったり、食べ物にあたったりと大変苦しい思い出となりました。

僕がラサを訪れたのは、もう4年も前のことになります。
2004年の3月でしたが、その頃はまだ西蔵鉄道はできていませんでした。
建設中という看板は出てましたけど。

チベットに行くためには入境証というものが必要になります。
確か中国では成都で発行してもらうことになるはずです。僕は日本でチベット旅行を仲介してくれる旅行会社に依頼して手続きをしてもらい、成都で受け取りました。
この手続きはほとんど業者の言い値です。詳しい費用の内訳を聞いたところ、知らない方が言いこともあるんですよ、となんとも旅行会社らしからぬ返答をされたのを覚えています。
基本的にチベットに入るためには観光ツアーとして入るということが前提となっていますので、一人で行っても形はツアーのようになり、現地の滞在ホテルも事前に決めなければならないし、入国と出国には現地でガイドが必ず同行します。
監視されていると言えば言えなくもないですが、あちらにつけば全くの自由に活動できますから、不自由さは特に感じません。
中国はチベットを国の一部と主張して支配を続けている訳ですが、実際にチベットに行くためには中国へのビザの他に、チベットでのビザ(入境証)も必要になる、というのが現状です。

チベットに関心をもつきっかけは、子供の頃に『サザンアイズ』という漫画を読んで、そこに聖地として紹介されていたというのがあります。その後ブラッド・ピットが主演した『セブン・イヤーズ・イン・チベット』でチベットへの想いが再び湧いてきたという感じでしょうか。
初めての海外旅行だったのですが、どうせなら行きたいと思うところで今後行く機会がないかも知れない場所にしよう、ということでチベットを選びました。
実際にチベットを訪れる際には『地球の歩き方 チベット』、ハインリヒ・ハラーの『セブン・イヤーズ・イン・チベット』、河口彗海の『チベット旅行記』、創元社「知の再発見」双書112『チベット』を読んでから行きました。

くさい、くさい、なんとなくくさいぞ・・・。
僕の今住んでいる家は、風向きによっては空気がくさいと感じます。
鼻を突くような汚臭がするという感じでしょうか。

臭いの元は、工場の大きなエントツから立ち上る煙です。
富士市に訪れたことがある方なら御存知かも知れませんが、こんな煙が市内の至るところにある大きな製紙工場群から、毎日終日空中に排出されています。

僕は富士市で生まれ育った人間ではないのですが、子供の頃から富士市を電車で通過する度に、吉原駅、富士駅周辺の悪臭とも言ってもいい空気の悪さと臭いを感じていました。
高校時代、周囲の市町村から学生が集まっており、富士市出身の子達には「富士って、くさいよなー」と、本人達には何の責任もないような感想がぶつけられてました。

今、富士市で生活するようになって、当時感じていたほどはくさいとは感じていません。
慣れてしまったからでしょうか?
いや、僕の家が煙を噴出する工場の側にはないからかも知れません。
でも、たまに洗濯物を干すために窓を開けていて、頭がいたくなるような感覚になる時があります。
そんな時は、風向きによって、こちらに臭いが運ばれている時だと思います。

タウンページのCMって、何なんでしょうね・・・。
一般家庭に石原良純がおしかけるってやつです。
http://bj.nttds.co.jp/bj-dir/cm_lib.html

だいたいのパターンは、石原良純が「何かこまっていることないですか?」と聞いて、
その家庭の方が、答えるというパターンです。
すると、彼がタウンページを持ってこさせて、その問題を解決するのにいい業社をタウンページで検索をするんですが・・・。

毎回、勝手に業社を呼んでしまうんですよね、彼が。