村山開山祭に行く

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今日は仕事で富士宮市の村山浅間神社にて行われた村山開山祭を見に行ってきました。

富士山の表口である村山口の開山を行うための式典です。
今はもう開山式前だろうと別に入山できる訳ですが、かつては富士山が山開きを行って、一般人が入山できるとされていた時期は、旧暦の六月中と決まっていましたので、こうした開山式の後に、本年の入山ができる、というようになっていた訳です。

今年はイベント的要素も強くなっており、特に富士山世界遺産登録に向けての活動の一環として位置づけられたんでしょうね。
富士宮市長とか「ミス富士山」とかイギリスからの大使とか、お偉方が諸々来ていて、地元の小・中学生と交流会を行っておりました。
イギリスから大使が来た、というのは、幕末にはじめて富士山を登山した外国人「ラザフォード・オールコック」がイギリス人だったからでしょうね、多分。
久々にベタな交流会でしたので、微笑ましい気持ちになりましたが、「あぁ まだまだ今も こういうベタな交流ってなくなってないんだなあ」と思った訳です・・・。

ただ交流会を見にいくのが僕の場合は目的ではなかった訳です。
開山祭を見るのが目的だった訳で。だから昨日大阪から高速バスで朝、帰還戻したところを出勤してお出かけした訳で・・・。

開山祭は京都府左京区の修験道本山派の総本山である聖護院門跡から山伏の方々をお迎えして、地元の子供たちによる水垢離や、柴燈護摩供などを行いました。
「南無ぅ神変大菩薩ぅ~南無ぅ浅間大菩薩ぅ~南無ぅ大棟梁権現ん~」・・・山伏が唱えるところを何度も何度も聞いてたので耳から離れません。
今回聖護院から来られていた方が、10年ほど前に京都に調査にうかがわせていただいた際にお世話になった方でしたので、少なからず御縁を感じざるを得なかった今日この頃です。
あの時僕ら一行を迎えてくれた小さな小さな女の子が、もう中学生になったと伺いまして、時の流れを感じました。今後もまたお世話になることもあると思います。

村山浅間神社の境内西側から村山口の登山道が続いていくんですが、現在「村山口登山道」という石碑が立っている、石畳の見た目はとっても「古道っぽい」場所があります。
でもここって昔からある正しい登山道のルートではないんですよね。
登山道は隣の舗装されてしまっている場所ですので、その横に石畳のいかにも古道って場所をつくった訳です。
初めて見た人はここが古道で、石畳の道があるんだなあ、と勘違いするでしょうね。
世界遺産に向けての活動もいいんですが、こういうのは逆に整備にもなってないし、歴史もふまえてない訳だから・・・何のためにつくったの?と思ってました。
村山口から先の登山道には熊野古道のような石畳の道はないはずですし。
で、今日知りました。開山式の儀式をこの場所でもやってるんですね。それなりに意味があってつくったんだなぁ、と言うことはわかりました。
でも、決して本当の古道ではないですよ、ここは。

地元の方だと思いますが、境内では出店も出してくれていました。
ラーメンや富士宮焼きそば、地鶏の唐揚げとか。
富士宮焼きそば、はじめて食べました^^;
「麺がゴムみたい」とは話に聞いていたんですが、それはそれで焼きうどんのこしがある細麺タイプ、みたいな感じで、僕はとてもおいしかったですよ。
地鶏はでも宮崎地鶏でしたけど・・・。

おいしかったからまあいいや。

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